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Vol.21 新型コロナウイルス感染拡大で考えたこと~人の密集と都市化をめぐって~

佐藤 修

 新型コロナウイルス感染拡大について、その要因とされている人の密集と都市化という観点から考えてみたい。 密集と都市化は、当然切っても切れない関係ではある。
 人は太古から集団生活を行い、助け合い、コミュニケーションをとりながら生活を営んできた。 そのため、ある程度の密集は、ごく自然な営みなのだ。 ただ昨今、そのような営みを超えて過度に群れることが多くなっていると見受けられる。 その例として、目的も曖昧なまま、仲間などで集まり、密集することである。 これは大人であっても、多くの人が一人でいることへの不安があり、 人と繋がっていたいという欲求を常に抱いていることも関係していると思われる。 またより大きな密集の問題としては、意図的に多くの人を集め、 その人たちの心をひとつにさせる行為が挙げられる。宗教的な行事を例にすると、 この種の行事は、より大きな集団で密集すればするほど宗教を布教し、 広めるうえでより効果的な行いになると考えられる。 このように宗教的、商業的、政治的等、様々な目的でこの密集状態が作り上げられ、 日夜繰り広げられている。密集は心を変化、共有させ、 高揚させるうえで必要不可欠な要素となっている。 密集により個人の自由と尊厳が奪われる面があるが、 皮肉にもこのウイルスは密集の中で自由に拡散し、また密集状態を見事に突いているともいえる。 私たちはこの機会に、個人個人の自由をより重んじると同時に、 密集状態をなるべく減少させるべく行動に移していかなければならないだろう。
 次に都市化について考える。都市とは経済性向上ため、効率性と機能性を最優先に造られた人工物である。 そのため都市は生物を排除させ、人のみが絶対的に多数の、無機的的な世界となった。 かつて「東京砂漠」という歌が流行したが、この歌は渇水のため東京で水道の供給が停止し、 東京が砂漠化したイメージで造られた歌である。 ただ普段でも、コンクリートで囲まれた無機的環境は、 乾燥した砂漠のように感じる人も多いのではないだろうか。 人の住む健全な環境とは、原生的な環境とは言わないまでも、 人を含め様々な動植物が共存する農村的環境であると、私は考える。
 翻って、人は細胞10兆個で造られているとされるが、 人に宿る細菌はその10倍にも及ぶ100兆個存在するそうだ。 また、宿っているウイルスも同じように膨大な数がいるのであろう。 因みに母体に生じる胎盤はウイルスでできているとのことである。 このため人ゲノムを解明したとしても、抱えている微生物が膨大である為、 結局人を正確に捉えることは困難なのだ。 人という生物は数十億年にわたり微生物を取り込みあって進化してきた、 微生物の集合体ということもできる。 人の精神上重要とされる神経伝達物質のセロトニンは、膨大な数の腸内微生物群で80%合成されるといわれる。 ウイルスに対する免疫力の強さはこの微生物群の活動に左右されているといわれる。 余談だが、この1㎏程あるとされる腸内微生物群こそが、 太古からの生物としての原型をなすものであり、我々の身体を支配する元締めなのではないかと考えている。 何故なら、我々の腸こそが体内で最も活発な微生物活動を行っている場所とみられるからである。 「腹の虫がおさまらない」とはよく言ったものだと思う。
 このように身体は微生物生態環境系であり、多様な微生物が相互に絡み合った動態環境ともいえる。 都市環境はその対極にある無機的環境であるが、 このウイルスも微生物的に相互の絡み合いが無いため、 環境面での免疫作用も生じないのではないか。 都市環境ではこのウイルスは何の微生物的せめぎあいも受けずに存在できるのである。 これに対してこのウイルスに耐性があるのは農村的環境であると、私はみている。
 今、多少効率が劣っても生物豊かな有機的な都市環境が必要とされているのではないだろうか。

'20.5.

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